美術品案内
いりやまずのおうちは、ティラキタが長年に渡る買い付けの中で集めてきた、様々なモノで彩られています。インド、ネパール、インドネシア、ベトナムなど、様々な国の素敵なモノたちをぎゅっと集めましたので、滞在の間に、楽しんでいってくださいませ。

二度と手に入らない貴重な一点ものが多いので、年代物や壊れそうに見えるものには、お手を触れないようお願いたします

天井のホイアンランタン


ベトナムに訪れるとよく見かけるのがこの提灯型のランタンです。手作りの温かみを感じさせる竹製の枠組み、光沢のある美しい生地の布に刻み込まれた歴史を感じさせる伝統的な模様、フランス的な洒落た街並みと、ランタンから漏れる幻想的な光が縦にも横にも無数に並んでいる様子は溜息が漏れてしまう程です。

街全体が世界遺産だというベトナムのホイアンでは毎月、満月の夜にランタンを並べます。それは先祖を忘れないようにしたり、敬ったりという文化で、家庭の祭壇に果物やお花をお供えしていたそうです。

彼らはお香・冥器を、幸運と繁栄のために燃やします。日本に喩えると毎月お盆があるような感じでしょうか。そして旧市街の歴史保存地区一帯の電気は消え、ランタンの明かりだけが灯されてゆきます。

1900年代のインドのアンティクポスター


西洋の技法とインドの美学の融合を図った1900年代のインドのアンティクポスターポスターです。推定80年から120年前の作品で、第2次世界対戦前に栄華を誇った南インド、チェティナード地方の豪商の家に飾られていた由緒ある1枚です。インドでリトグラフ(石版画)が用いられいた頃の作品です。

ブルーポッタリーの暖炉の床


インド、ジャイプールからやってきたブルーポッタリーのタイルで作っています。輸入時に割れてしまったタイルたちを、上手に再生させてみました。

ジャイプルのブルーポッタリー(Blue Pottery)は、インドのラージャスターン州、特にその州都ジャイプルで有名な伝統工芸品です。名前の通り、青色が特徴的で、美しいデザインと繊細な技術が融合した陶器です。

ブルーポッタリーの最大の特徴は、明るい青やターコイズブルーの色調です。この色は、コバルト酸化物や銅酸化物を用いた釉薬から得られます。

ジャイプルのブルーポッタリー(Blue Pottery)は、インドのラージャスターン州、特にその州都ジャイプルで有名な伝統工芸品です。名前の通り、青色が特徴的で、美しいデザインと繊細な技術が融合した陶器です。

特徴:
独特な色: ブルーポッタリーの最大の特徴は、明るい青やターコイズブルーの色調です。この色は、コバルト酸化物や銅酸化物を用いた釉薬から得られます。

素材: 一般的な陶器とは異なり、ジャイプルのブルーポッタリーは土ではなく、石英粉末を使って作られます。これにより、陶器はより耐久性があり、なめらかな仕上がりとなります。

デザイン: ブルーポッタリーには、インドや中東の影響を受けた花や鳥、動物などの美しいモチーフが描かれます。また、幾何学模様もよく見られます。

製造工程: ブルーポッタリーは、複雑で手間のかかる製造工程を経て作られます。石英粉末にガムアラビアや水を加えた粘土を形成し、それを型に流し込んで成形します。乾燥させた後、デザインを手描きし、釉薬をかけて焼成します。

歴史: ジャイプルのブルーポッタリーは、もともとペルシャからインドに伝わった技術とされています。ムガル時代にラージャスターンに導入され、次第にこの地域に根付いていきました。ジャイプルの王宮や貴族たちの保護のもとで発展し、やがて一般の人々の間でも広まりました。


鎌倉彫のちゃぶ台

もう現代では作られることのない、大きな鎌倉彫のちゃぶ台です。鎌倉彫(かまくらぼり)は、日本の伝統工芸の一つで、鎌倉時代に起源を持つ木彫り技術です。特に、漆を用いた彫刻として知られ、鎌倉市を中心に発展しました。

鎌倉彫の起源と歴史
鎌倉時代(12世紀末〜14世紀) 鎌倉彫は、鎌倉幕府の時代に仏教文化が栄えたことから始まりました。当時、寺院の建設や仏像の制作が盛んに行われ、仏具や装飾品として木彫りの技術が発展しました。

鎌倉彫の技法は、中国から伝わった宋代の「剔紅(てっこう)」という漆工芸技術に影響を受けています。剔紅とは、厚く塗った漆の表面に彫刻を施す技術で、これを模倣して発展したのが鎌倉彫です。

室町時代〜江戸時代(14世紀〜19世紀) 室町時代には、鎌倉彫の技術がさらに洗練され、日常生活で使われる道具や装飾品にも応用されるようになりました。鎌倉の工房では、多様なデザインと技法が開発され、作品の質が向上しました。

江戸時代に入ると、鎌倉彫は全国に広まり、特に武士や裕福な町人の間で人気を博しました。この時期には、仏教的なモチーフだけでなく、花鳥風月などの自然をテーマにしたデザインが多く用いられるようになりました。

明治時代以降(19世紀末〜現在) 明治維新後、日本の伝統工芸品は西洋文化との融合や外貨獲得のための輸出品として見直されましたが、鎌倉彫は国内での需要が中心となり、主に茶道具や日常の調度品として愛用され続けました。

現代では、伝統を守りつつも新しいデザインや技法を取り入れた作品が制作されており、鎌倉彫の技術は次世代に引き継がれています。特に、漆器や家具、装飾品としての鎌倉彫は、贈答品や工芸品として高く評価されています。
鎌倉彫の技法と特徴
素材 基本的には木材(ヒノキやサクラなど)を使用します。木材を削り、彫刻を施した後、漆を何度も塗り重ねて磨き上げる工程を経て完成します。

彫刻 彫刻のモチーフは、伝統的な仏教的な模様や、花鳥風月、動物などが一般的です。彫りの深さや線の繊細さが作品の質を左右します。

漆は何層にも塗り重ねられ、作品に深い光沢と耐久性を与えます。この漆塗りが鎌倉彫の美しさを際立たせています。鎌倉彫は、その歴史とともに日本の伝統文化を今に伝える貴重な工芸技術です。

遊牧民のテーブル


イランやトルコ周辺の遊牧民の人々が使っていた折りたたみテーブルが、生活に定着したものです。天板の詳細な彫り込みがイスラム美術を感じさせ、小さくできる足はいつも移動を繰り返す遊牧民の生活の知恵を感じます。

エスニックを感じつつも、狭い日本の家屋にもフィットするローテーブルとして活躍してくれます。


手織りのバドゥイ


インドの手織り絨毯の産地バドゥイで織られた一品物の絨毯です。ウールが使用されていますので、肌触りが良く、冬でも温かいのが特徴です。

カーペットの糸を一本一本、手で紡いで作られているのですが、熟練した職人さんが一日仕事して、数センチしか織り進められないといいます。一体、この大きさの絨毯を作るのに、一体どれくらいの手間暇と時間がかかるのでしょうか。

お風呂の壁画


お風呂の壁画は、ワルリー画がベースになっている壁画で、インド料理ユニット マサラワーラーとしても知られる武田尋善さんの作品です。

ワルリー画(Warli Art)とは、インドのマハラシュトラ州に住むワルリー族の人々によって描かれる伝統的な民族芸術です。主に壁画として村の家々の壁や土の上に描かれています。

ワルリー画の特徴は、シンプルな幾何学模様を用いた描写ですが、武田さんはアーティストとして、そのエッセンスを取り入れつつ、彼自身の作風を加えて、非常に素晴らしい作品に仕上げてくれました。

ワルリー画の主な特徴:
シンボルとモチーフ ワルリー画では、太陽や月、木々、動物、村人たちがシンボル的に描かれます。円は太陽や月、三角形は木や山を表します。

伝統的には、赤土の壁に白い顔料を用いて描かれていました。白い顔料は、砕いた米の粉を水で溶いたもので作られます。

テーマ 収穫祭、結婚式、狩りなどの村の生活に関連するテーマがよく描かれます。これにより、ワルリー画はそのコミュニティの生活や文化を映し出すものとなっています。

技法 ワルリー画は、通常、非常にシンプルな線画で描かれ、細かいディテールよりも全体のバランスとリズムが重視されます。ワルリー画は古くから口承文化を通じて伝えられてきたため、文字で記録されることは少なく、視覚的な伝統として受け継がれてきました。今日では、この伝統芸術は世界的に認知され、現代のアーティストによって新しい形で表現されることもあります。


大皿のランプシェード


タイやラオスなど、東南アジアで庶民が使っているエナメルの可愛い大皿をランプシェードにしました。このお皿の持つ、何とも言えない昭和レトロなアンティーク感がたまりません。

ラオスの田舎では、人々がこのようなお皿で唐辛子を干していたり、料理を入れていたりして、日常的に使っています。バリ島でも同じようなテイストのものが発見できるので、もしかしたら、このテイストのお皿は東南アジア全域で共通のデザインなのかもしれませんね。

龍(ナーガ)の蛇口


古来から人々は水場を神聖なものとみなし敬ってきました。こちらの龍(ナーガ)の蛇口は、ネパールの水場ヒティで使われているものです。ネワール族の人々は、水場にこのような彫刻を置き、水が絶えないことを祈り、そして神々への感謝を伝えてきました。

ネパールの水場は、古くから都市や村で重要な生活の一部を担ってきました。
以下に、ネパールの水場の蛇口に関するデザインや文化的背景について説明します。

1. ヒティ(Hiti)とは?
ヒティは、ネパールの都市や村の公共の水場で、地下水や湧水を集めるために設計された構造です。伝統的には、カトマンズ盆地のニューアリ文化に根ざしています。ヒティは、単なる水場としての役割だけでなく、社会的な集いの場としても機能していました。
2. 蛇口のデザイン
a. 蛇口の形状: ヒティの蛇口は、一般的に龍(ナーガ)や象の形をしており、これが水が流れ出る部分を飾ります。特に龍の形状は、ヒンドゥー教や仏教の象徴であるナーガに由来しています。ナーガは水の守護者とされており、このデザインは水の神聖さと豊穣を象徴しています。

b. 材料: 蛇口は通常、青銅または真鍮で作られています。これらの金属は耐久性があり、また時間が経つにつれて美しい緑青が現れ、独特の風合いを持つようになります。

c. 彫刻: 蛇口には複雑な彫刻が施され、龍の鱗や象の顔、口の中から水が流れ出す様子などが精緻に表現されています。また、蛇口の周りには宗教的なシンボルや自然のモチーフが彫り込まれることもあります。
3. 文化的意義
a. 宗教的・精神的な意味: ネパールにおいて、水は神聖なものであり、生命の源として崇められています。蛇口にナーガや象が使われるのは、水の守護者としての役割を表しており、人々が水を使う際に感謝の意を表すためでもあります。

b. 社会的な役割: ヒティは、単なる水供給の場所ではなく、人々が集まり、交流する場でもありました。特に女性たちが日常的に水を汲むために集まり、社交を深める場としても機能していました。
4. 現代におけるヒティの役割
現代でも、ネパールの多くの地域でヒティは使用されていますが、新しい水道インフラの導入に伴い、伝統的なヒティの使用は減少しています。それでも、ヒティは文化的、歴史的に重要な遺産として保存されており、観光客にとっても人気のあるスポットです。また、都市の一部では、これらの伝統的な水場が修復され、再び地域社会に貢献する取り組みが行われています。

ネパールのヒティやその蛇口のデザインは、ネパールの豊かな文化と歴史を反映しており、地域の人々にとっても誇りとなる存在です。

ベンジャロン焼き金色ボウル


金色のボウルは、タイの伝統的な陶磁器ベンジャロン焼きで作られています。

ベンジャロン焼き(Benjarong)は、タイの伝統的な陶磁器の一つで、その名前はサンスクリット語の「ベンジャ」(五)と「ロン」(色)に由来し、通常5色の鮮やかな絵付けが特徴です。この陶磁器は、タイの文化や美術を象徴するもので、特に王族や貴族の間で高く評価されてきました。

歴史と起源
起源: ベンジャロン焼きの起源は、中国の陶磁器技術に遡るとされています。14世紀から15世紀にかけて、タイに中国から陶芸技術が伝わり、それが独自の発展を遂げ、ベンジャロン焼きが生まれました。

もともとは、中国の「五彩」や「景徳鎮」の技術に影響を受けましたが、タイの文化や美意識が加わり、独自のスタイルが確立されました。

アユタヤ王朝時代(1350年〜1767年): ベンジャロン焼きは、アユタヤ王朝時代に発展し、特に王族のために作られる豪華な陶器として用いられました。当時は、中国から輸入された白磁に色付けを施したものが主流でした。

ラタナコーシン王朝(1782年〜現在): ラタナコーシン王朝時代に入り、ベンジャロン焼きはさらに洗練され、タイ国内での制作が本格化しました。王宮や寺院で使われる高級な器として、また儀式用の器や装飾品として広く使用されました。
ベンジャロン焼きの特徴
色彩とデザイン: ベンジャロン焼きは、伝統的に5色(赤、青、緑、白、黄)を使用しますが、現代では金色や紫色なども使われることがあります。複雑な模様が特徴で、デザインは非常に細かく、手作業で描かれます。モチーフには、花、神話上の動物、仏教に関連するシンボルがよく使われます。

技法: ベンジャロン焼きは、まず白磁の器を作り、その上に手描きで模様を描きます。次に、色を一つずつ慎重に塗り重ね、最後に金で縁取りを施します。塗装が完了したら、低温で焼成して完成させます。 – この技法には高い技術と時間が必要であり、一つ一つが職人の手作業によって丁寧に作られます。

用途: ベンジャロン焼きは、伝統的に王族の儀式や特別な場面で使われる茶碗、壺、皿などの食器として作られました。また、寺院の仏具や装飾品としても使用されます。現代では、贈答品やコレクターズアイテムとしても人気があります。
現代におけるベンジャロン焼き
今日のベンジャロン焼きは、タイ国内外で高く評価される工芸品であり、伝統的なスタイルを守りつつも、現代のデザインや色彩を取り入れた作品も多く作られています。

ベンジャロン焼きは、タイの文化遺産として重要な位置を占めており、その繊細で美しいデザインは、多くの人々に愛され続けています。

タイを訪れる際には、ベンジャロン焼きを目にする機会が多く、観光客にも人気のお土産として購入されることが多いです。また、タイ国内の美術館や院で、その華やかな美しさを鑑賞することができます。


ラヴィ・ヴァルマのラクシュミー


第2次世界対戦前に、栄華を誇った南インド、チェティナード地方の豪商の家に飾られていた、由緒ある1枚です。ラジャ・ラヴィ・ヴァルマ (Raja Ravi Varma, 1848-1906) の作品で、ヒンドゥ教の女神ラクシュミーが描かれています。

インドのケーララ州に生まれた著名な画家であり、インド美術史の中で非常に重要な存在です。彼は西洋の写実的な技法とインドの伝統的な主題を融合させたことで知られ、多くの人々に広く愛される作品を生み出しました。

主な特徴と貢献
インド神話の題材: ラヴィ・ヴァルマの作品の多くは、インドの神話や叙事詩(「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」など)の物語を題材にしています。彼の絵画は、これらの物語の登場人物や場面をリアリスティックかつ美しく描き、インドの伝統的な文化や価値観を視覚的に表現しています。

西洋の技法とインドの美学の融合: ラヴィ・ヴァルマは西洋の油絵技法を取り入れ、陰影や遠近法を駆使したリアルな表現を行いました。これにより、彼の作品は写実的でありながらも、インドの伝統的な美学を強く感じさせるものとなっています。

普及とアクセスの向上: 彼はインドで初めてリトグラフ(石版画)を用いて、自身の作品を大量生産し、一般の人々に広くアクセスできるようにしました。これにより、彼の絵画は王族や富裕層だけでなく、庶民にも広く知られるようになり、インド全土で人気を博しました。

女性像の描写: ラヴィ・ヴァルマの絵画に登場する女性像は特に有名で、彼はインドの女性の美しさや優雅さを非常にリアルに、かつ理想化して描きました。彼の作品には「シャクンタラー」「ダムヤンティと白鳥」など、美しい女性が登場する場面が多く、これらの作品はインド美術における女性のイメージを形成する上で重要な役割を果たしました。


トイレの土壁


いりやまずのおうちは、昭和の初期に建てられ、築70年以上を超える古民家です。その頃は今のように便利な建材はなく、建築材料も流通していなかったので、全て地元の材料で建物を建てるしかありませんでした。手に入る材料といえば 木、竹、稲わら、そして土のみ。かつて、この家はその限られた材料だけで作られていました。

この土壁は昭和初期の建築を現在に伝える、貴重な歴史遺産です。

日本家屋の土壁(つちかべ)は、伝統的な建築技術の一つで、古くから日本の住宅や寺社建築などに用いられてきました。土壁は自然素材を使った壁であり、独特の風合いや調湿効果、防火性などの特徴を持っています。

土壁の構造と材料
1. 構造:
骨組み:土壁は、木材で作られた骨組みに土を塗りつけて仕上げます。骨組みは「竹小舞(たけこまい)」と呼ばれる竹や木の細い棒を縦横に編んだもので、これが土を保持する役割を果たします。

下地:骨組みに土を塗る前に、藁(わら)や草を混ぜた土を荒壁(あらかべ)として最初に塗ります。これが乾燥したら、さらに数層の土を塗り重ねていきます。

仕上げ:最後に、仕上げ用の細かい土(漆喰や砂漆喰など)を塗り、壁面を滑らかに整えます。時には、壁をさらに強化するために石灰や白土を混ぜた仕上げ材を使うこともあります。
2. 材料:
土: 使用する土は、粘り気のある粘土質のものが好まれます。土に藁や砂、灰などを混ぜて強度や粘りを調整します。

藁:藁は、土に混ぜることで繊維質として壁のひび割れを防ぎ、強度を高める役割を果たします。

漆喰:仕上げに使われる漆喰は、石灰と水を混ぜたもので、防火性や防湿性を高めるために使われます。
土壁の特徴と利点
調湿効果: 土壁は、湿気を吸収したり放出したりする能力が高く、室内の湿度を自然に調整します。これにより、夏は涼しく、冬は暖かい快適な居住環境を保つことができます。

断熱性と防音性: 土壁は、厚みがあるため断熱性が高く、外気の影響を受けにくいです。また、音を吸収する効果もあり、外部の騒音を抑えたり、室内の音が外に漏れるのを防ぐ効果があります。

防火性: 土は不燃性の素材であり、火災が発生しても燃えにくいため、家屋の防火性能を高めます。

耐久性: 適切に維持管理されれば、土壁は非常に長持ちします。古い日本家屋には、何百年も前に作られた土壁が今でも健在なものが多くあります。

自然素材: 土壁は自然素材のみで作られるため、環境にやさしく、建築物が解体された後も自然に還ることができます。また、化学物質を使わないため、住む人の健康にも良いとされています。
現代における土壁
現在でも、伝統的な建築を重視する地域や住宅で土壁が使われ続けています。現代建築と組み合わせたハイブリッドな住宅も増えており、土壁の持つ自然の魅力や快適性が再評価されています。また、環境意識の高まりにより、エコ住宅の素材としても注目されています。 土壁は、日本の気候風土に適しているのです。


ネパールのキッチンラック


ステンレスで作られていて、おしゃれなネパールのキッチンラックです。耐久性と実用性から、多くの家庭で使われています。ネパールの人々の実用品ですが、日本の古民家にもぴったりフィットしました。

こちらのキッチンラックは、家族5人用。各自のターリー皿や小さい皿を入れて、一家族分の食器が整理して置ける様に設計されています。

バリ島の伝統金属工芸


銀色に光るキッチンの電気の傘は、バリ島に昔から伝わる伝統的な金属工芸を採用しました。インドネシアのバリ島は、地元の人々のヒンドゥ教への信仰心が非常に強く、祭礼に多くのお金と時間をかけています。特別なお祭りの時だけではなく、毎日、神様にお供え物をするのもバリの人たちの生活の一部です。

こちらのキッチンの傘は、バリの人たちが神様にお供え物をする時のアルミ製のお供えボックスや、寺院の飾りと同じ製法で作られています。アルミの薄い板をコンコンと木のトンカチで叩いて作るハンディクラフトです。もともとはバケツだったのですが、ひっくり返して穴を開けて、ランプシェードにしました。

108尊の木板


1951年より前まで、チベットは中国ではなく一つの独立国でした。1950年10月に中国人民解放軍がチベットに侵攻し、その後、1951年にチベットとの間で「十七条協定」が締結され、中国の支配が正式に確立されました。

多くのチベット人たちは隣国ネパールやインドに亡命し、色々な歴史的な経緯から、ネパールのスワヤンブナート、ボダナート、インドのダラムサラなどに分散して居住しています。

この木板は、スワヤンブナート直下で生活する亡命チベット人家族が制作している仏像で、一尊一尊、丁寧にチベット密教の仏たちが彫られています。


アラビアンランプ


インドの金属工芸の聖地モラダバードにて職人が手作りした一点物のメタルランプです。コツコツ、コツコツと手で作り上げていったまさに芸術品と言うべき一本です。

このような形のメタルランプは、モロッコがつとに有名ですが、モラだバードもまた生産地として世界にイスラムの美を輸出しています。

敷地入り口の扉


スリランカの有名なリゾート建築家ジェフリーバワの自宅のデザインからアイデアを得て制作した扉です。

ジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa、1919年7月23日 – 2003年5月27日)は、スリランカの最も著名な建築家の一人であり、アジアの建築界でも広く評価されています。彼は「トロピカル・モダニズム(Tropical Modernism)」と呼ばれる建築スタイルの先駆者として知られています。バワの建築は、伝統的なスリランカの建築要素とモダニズムを融合させたもので、自然との調和を重視したデザインが特徴です。

1枚板を3枚並べ、鉄板でぎゅうと締めて扉にしてあります。引手やかんぬきはネパールのお寺と家に使われてるものを使用しています。バワ建築はとてもおしゃれで素敵です。

いりやまずのおうちは、バワの建築思想に大きな影響を受けています。